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第2話 失踪の現場で

Author: 青砥尭杜
last update Last Updated: 2025-01-17 17:22:15

 残暑というには暑すぎた前日の熱気を引きずるかのように、空気は淀んでいた。

 西暦二〇一九年九月十一日、午前十時。

 水曜日にも関わらず、家族連れや観光客の姿が目立つ東京都港区の芝公園を、二人の男子が談笑しながら歩いていた。

 二人はおとなしめのカジュアルな服装で、悪目立ちしない優等生に見える大学生だった。

 男子の一人が立ち止まり、天に楔を打ち込まんとするかのように聳える東京タワーを見上げた。

「ここが、現場か……」

 鋭い眼差しで東京タワーを見据えた男子が、ぼそりとつぶやいた。

「カイト? なんだよ急に立ち止まって」

 もう一人の男子にカイトと呼ばれた男子は、ばつが悪そうに微苦笑を浮かべながら、

「いや……思ったより高いな、と思ってさ」

 と後頭部を掻きながら答えた。

 カイトの言葉に一応の納得を示しながら、もう一人もカイトにつられるように東京タワーを見上げた。

「確かに。間近で見ると高いよな。それに、スカイツリーより艶があるよ。風格って言うのかな……やっぱりこの曲線にはスカイツリーにはない色気があるっていうかさ」

「レンは表現が色っぽいな」

 カイトが笑みを漏らすと、レンと呼ばれた男子は「そうか?」と片頰笑みながら、

「懐の深さって言ったほうがいいのかもな。数多の怪獣に壊されてきた東京の象徴だからなあ。特撮の世界じゃある種の記念碑的な建造物ってやつだ」

 と東京タワーへの感想を続けた。

「レンって、特撮にも詳しかったのか?」

「詳しいってほどじゃないさ。一般常識の範疇だろ」

「どこの一般常識だよ、それ」

 カイトにツッコまれたレンは声を上げずに笑いながら、

「スカイツリーじゃなくて東京タワーを選ぶあたり、渋いよなカイトも」

 と返した。

「わるいな。せっかくの東京なのに、なんか付き合わせちゃって」

 カイトが軽い調子で詫びる。

 百七十四センチと平均的な身長で体型もやや細身だが標準的。黒髪の短髪で瞳は暗褐色、まつげが長く鼻筋は通っているが特段に美形という訳でもないカイトは、大人しい印象を与える二十歳の男子だった。

「いいさいいさ。来たかったんだろ、東京タワー」

 レンが理解を示すように応じると、それにうなずいたカイトは、

「ああ、ちょっとした因縁があるんだ」

 と冗談めかしながら答えた。

「因縁ってまた穏やかじゃないな。温厚が売りのカイトには似合わない単語だ」

 レンが笑いながら感想を口にする。

 カイトは再び東京タワーを見上げた。その眼差しは、いつになく鋭かった。

(俺は、ここに来なきゃいけなかったんだ。四十四年前におじいさんが、そして十五年前には父さんが、失踪した現場である東京タワーに……)

 カイトが胸中を口に出すことはなかった。

 二人は、未だ夏の気配を孕む風の中に早咲きのキンモクセイの薫りを感じながら、東京タワーを目指して足を進めた。

 レンはトップデッキと名付けられた展望台に着くと、思いのほかテンションが上がっていた。

 高さ百五十メートルのメインデッキから高さ二百五十メートルのトップデッキに昇るエレベーターがガラス張りである段階で、レンは楽しむことに決めたようだった。

「思ったより高いな。それに街が異様に広い。北海道じゃ拝めない景色だ」

 レンが展望台からの景色に感嘆する。

「うん……そうだな」

 カイトは東京という稀有な大都市を見下ろしながら、ぼそりと同意を口にした。

「どうだ? 見たい景色だったか?」

「ああ、おかげで見れたよ」

「そうか、それなら良かった」

 レンは微笑むと床の一部がガラス張りになっているスカイウォークウインドウに目をやった。

 その刹那。

 カイトが消えた。

 何の異変も徴候もなく、唐突にカイトの姿は消え失せた。

「あれがガラス張りの床か……なあ、カイトも一緒に……って、え? カイト? どこいった……?」

 辺りを見回すレン。

 カイトが立っていた場所にはカイトのスマートフォンが落ちていた。

「……カイト?」

 レンが拾い上げたカイトのスマートフォンの画面は、午前十時五十四分という時間だけを表示していた。

 それは瞬きの一瞬だった。

 その一瞬、カイトは巨大なドラゴンの影を見た気がした。

 東京タワーの展望台にいたはずのカイトは、一瞬の後、天井が高くて広いにも関わらず薄暗い部屋にいた。

「え……?」

 カイトの思考は状況の変化に追いつかなかった。

 足下が淡いオレンジ色に光っている。カイトが足下に視線を落とすと、床に直径五メートルほどの丸い魔法陣が描かれており、その魔法陣が淡く発光していた。カイトは魔法陣の中央に立っていた。

 カイトは周囲に視線を移した。魔法陣の周りに燭台が乗った祭壇が四つ。二つの小さな窓。重厚な作りのドアが一つ。奇妙な部屋にカイト以外の人影はなかった。

 カイトは、ただただ困惑した。

(瞬間移動? いや、白昼夢? どこなんだよ、ここ……)

 カイトが自分を落ち着かせようと深呼吸をしたときだった。複数の足音が近づいてくることにカイトは気付いた。心拍数が一気に上がるのをカイトは感じた。自分の鼓動がうるさかった。

 複数の足音がドアの前で止まると、ドアがゆっくりと開いた。

 入ってきたのは全身黒のモーニングコートを着た老人が一人と、詰襟で濃紺の軍服を着た青年が四人。

 すぐに老人が口を開いた。

「まず、落ち着いてくださいませ。我々は貴殿に害をなす者ではありません」

 白髪で碧眼の老人は、カイトが聞いたことのない言語を発したが、カイトには日本語として理解できてしまった。カイトの困惑は奇妙な動揺に変わった。

「……ここは、どこですか? あなたは?」

 カイトが発する言葉も、知らない言語に変換されていた。頭では日本語で処理しているのに、口から出る言葉は違う。カイトは動揺を隠せなかった。

「此処はミズガルズ王国の王都プログレでございます。そして、この部屋は王宮の中にある召喚室です。私はマジェスタと申します。枢密院の議長を務めております」

「……ミズ、ガ、ルズ、王国?」

(聞いたことないぞ。そんな国あったか? しかも枢密院? 古風すぎるだろ……待て、それよりも気になる言葉を……召喚、室……召喚だと?)

「困惑なさっておいででしょう。順を追って説明いたします」

 マジェスタと名乗った老人の口調が穏やかであるのは、カイトにとって唯一の救いだった。

 カイトは首肯してみせるしかなかった。

「……お願いします」

「貴殿は我々によって異なる世界から、この世界、テルスに召喚されたのです。貴殿で三人目となります。一人目は女王陛下の王配たるケンゾー王配殿下、二人目はビスタ公ダイキ閣下、そして貴殿です」

「ちょっと、待ってください」

(異世界に召喚された? 俺が異世界転移するラノベの主人公だとでも言うのか? それも三人目? 王配って女王の夫だろ……しかも、賢三と大樹って……おじいさんと父さんの名前と同じ……)

 偶然とは思えない肉親と一致する名前を、異世界で聞くことになったカイトの動揺は強まるばかりだった。

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     カイトが群衆の歓声を背に受けながら普段は閉ざされている正面中央扉口からレザレクション大聖堂の中へ入ると、身廊の入り口付近で待っていたノンノがカイトに向かって軽く右手を挙げてみせた。 屈託のない明るい笑みを浮かべるノンノの隣には、穏やかに微笑むピリカの姿もあった。 カイトがノンノの合図に応じて近付くと、ノンノはトーンが高く軽い印象を持った声で名乗った。「あたしは、ノンノ。あなたがカイト卿なんだね」 ノンノはニカッと歯を見せる笑みを浮かべながら、カイトへ右手を差し出した。「はじめまして。ノンノ卿。カイトです」 握手に応じたカイトは小柄なノンノの右手が想像よりもさらに一回りは小さいことに驚いたが、それを顔には出さないように努めた。「あたしのことは、ノンノって呼び捨てでいいよ。敬語もいらない」  ノンノが持つ愛らしい雰囲気と裏を感じさせない口振りに触れ、すぐに好感を抱いたカイトは素直に応じた。「……分かった。ノンノ、これからよろしくね」「うん!」 ノンノは明るい笑みを浮かべたまま、コクリと大きくうなずいた。「ピリカと申します」 ノンノの隣に立つピリカが、カイトに向けて深々と頭を下げる。 フランクで距離の近いノンノとは対照的に、耳にやさしく届くハスキーボイスで名乗ったピリカは落ち着いた物腰だった。 ぷっと吹き出したノンノが、告げ口する口調でカイトにピリカを紹介した。「ピリカはマジメなふりが上手いけど、エッチなことにはすっごい積極的だから気をつけてね」「ノンノ! 初対面の、それも首席魔道士になるカイト卿の前で、なに言ってるの!」 ピリカが慌ててノンノをたしなめるが、ノンノは全く悪びれる様子もなかった。「そんなのどうせ、すぐにばれるんだから、早いほうがいいじゃん」 ノンノとピリカのやり取りを微笑ましいと感じたカイトは「もう少し見ていたい」とも思ったが、これから叙任の儀式と宣誓が始まるというタイミングの今は、ピリカに助け船を出して会話を抑えておこうと判断した。「えっと……はじめまして、ピリカ卿。カイトです。よろしくお願いします」 カイトが右手を差し出すと、ピリカは微笑みを返して握手に応じた。 ノンノよりもわずかに背が高いほどで小柄なピリカの手は、小さくはあったがカイトにとっては「しなやかな手」という印象の方が強かった。 先に身廊

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     聖暦一八八九年十月一日。 カイトが正式に魔道士として叙任するための「宣誓の儀式」が執り行われるレザレクション大聖堂の周囲には、晴天に恵まれたこともあり朝早くから多くの人々が詰めかけていた。 続々ときらびやかに装飾された二頭立ての四輪馬車が、レザレクション大聖堂の正面に広がる大きな広場の奥に位置する車寄せへと乗り入れた。 ミズガルズ王国の筆頭魔道士団であるトワゾンドール魔道士団に属する魔道士たちが、豪奢な馬車から降り立つ度に群衆から歓声が上がった。「レビン卿とステラ卿のお二人だ!」「いやあ、拝見する度に美しさが増しておられるねえ……」 レビンとステラが馬車から降りると、男性たちの視線は瑞々しい魅力を放つ二人の女性魔道士へと吸い寄せられた。 百七十二センチと女性としては長身であるレビンの、意志の強さを表わすように輝く黒い瞳が群衆に向けられると男たちがざわめき立った。 濡れ羽色のストレートで長い髪が、すらりと伸びた手足を包む純白の軍服と相まって端整な美しさを放つレビンの姿は、十八歳にして魔道士の威厳すら併せ持っていた。 レビンの横に立つステラも百六十五センチと女性としては高めの身長で、亜麻色の髪をショートボブにしている。 理知的な印象を与える銀縁の眼鏡の奥の瞳は琥珀色で、落ち着いた微笑を浮かべてみせる二十歳だった。 軍服を着ていても男たちの目を引く大きく張り出した胸のふくらみと見事なヒップラインが、肉感的な魅力でもって男を魅了していることもステラは自覚していた。 レビンとステラは余裕の笑みを浮かべながら、群衆の歓声に応じて軽く挙げた手を振りながら大聖堂へと入っていった。「あっ! アルテッツァ卿とセリカ卿のお出ましよ!」「ああ、もう……なんて見目麗しいの……」 アルテッツァとセリカが馬車から降りると、打って変わって女性たちの注目が眉目秀麗を絵に描いたような二人の男性魔道士に集まった。 艶めく金髪に翠玉の如き碧眼、鼻梁がすらっと通った欠点の見当たらない美丈夫である二十四歳のアルテッツァと、光沢を含んだ微かに淡い金髪に力強い眼光を放つ碧眼を有する二十二歳のセリカが並んで歩く姿は、女性たちの熱い視線を強く惹き付けた。 百八十七センチのアルテッツァと百九十センチのセリカが身に纏うと、トワゾンドール魔道士団の威光を示す純白の軍服は秋の澄んだ空気の

  • 異世界は親子の顔をしていない   第26話 愛国心

     ケンゾーが治癒魔法による治療の拠点としている王宮内の病院に、カイトが通うようになってから一週間が経過した九月二十四日の昼過ぎ。 工事現場での事故によって重傷を負った患者の治療を、カイトが一人で滞りなく済ませる姿を見届けたケンゾーは、ふうと一息つく様子を見せるカイトに声をかけた。「少し、休憩しようか」 ケンゾーとカイトは連れ立ってケンゾーの書斎に入った。 カイトが王宮病院に訪れた際にはくっついて回るマヤの姿もあった。 治癒魔法の習得に励み、次々と患者を治療するカイトにマヤはすっかり懐いていた。 カイトが治療している間は邪魔にならないよう距離を置いて見ているマヤは、治療に区切りを付けてカイトが休憩する素振りを見せると駆け寄って、ぴったりとそばを離れようとはしなかった。「ダイキも早かったけど、カイトはそれ以上に慣れるのが早いね」「ありがとうございます。でも、おじいさんの教え方が分かりやすいおかげだと思います。体系がシンプルに立っていて理解しやすいですから」「まあ、他の属性とは違って治癒魔法は用途がそもそもシンプルだからね。俺はナーガから下賜されたものをなぞっているだけと言ったほうが近いよ」「下賜ってことは直接、治癒魔法の内容をドラゴンから聞いたってことですか?」「うーん、直接的、とでも言おうか……夢を介していたからね」「夢、ですか?」 カイトがオウム返しに「夢」を強調して訊くと、ケンゾーはゆったりとうなずいてみせた。「そうなんだ。俺がテルスに来てすぐ、三日が過ぎた夜の夢にナーガが現れた。白昼夢に似たその夢の中で、俺はナーガから治癒魔法についての一通りを教えられたんだ」「直に、現実で会ったことは無いんですか?」「ないよ。他の大陸にいるドラゴンに関しては定かじゃないけど、ミズガルズ王国でナーガに直接会ってるのはセルリアンだけだね。カイトは会ってみたいのかい? ナーガに直接」 ケンゾーの問い掛けに対して、思案する表情を浮かべたカイトは一呼吸置いてから答えた。「会って聞いてみたいことはあります。でも、今はまず目の前のこと、治癒魔法と無属性魔法の習得を優先します」「賢明な判断だな。本当に俺の孫としては出来過ぎだ」 ケンゾーが満足そうに微笑むと、静かに二人の会話に入るタイミングを探っていたマヤが、白い陶器のコップに注いだ水をカイトに差し出し

  • 異世界は親子の顔をしていない   第25話 畏敬と畏怖

     カイトは軍服が届いた翌日の火曜日、九月十七日から魔法や魔道士としての基本的な作法などをエルヴァから教わることに並行して、王宮病院で実際に治癒魔法を行使して患者の治療にあたっているケンゾーとともに、実際に治癒魔法による治療を経験しながら治癒魔法を習得することにした。 カイトから治癒魔法も早めに習得しておきたいという意向を聞いたエルヴァは「それはいいね」と二つ返事で了承した。 ケンゾーもカイトの申し出を喜んで快諾した。 叙任式典の前であることを考慮して、カイトは軍服ではなくフロックコートを着て王宮病院へ通うことにした。 王宮病院の医師や看護師といった関係者とその患者には、カイトに関する箝口令が敷かれた。 実際に治癒魔法を行使する治療に先立って、ケンゾーは王宮病院内にある書斎でカイトに治癒魔法についての説明を始めた。「治癒魔法は軽傷を治療するクラティオ、重傷を治療するクラティダ、致命傷すら治療できるクラティガの三つに分類してるけど、それは治療に必要となった魔力量の差でしかない。裂傷や骨折といった負傷箇所をトレースして完治するまでのイメージを浮かべ、魔力によって完治のイメージを患部へ伝えるという一連の流れは同じなんだよ」 意外に単純な分類だと感じたカイトは、それを隠さず口にした。「それぞれ別の魔法ってわけじゃないんですね……その魔力ってどれぐらい使うものなんですか?」「四属性魔法や無属性魔法で用いられる魔力の数値化に合わせるなら、一から三の魔力消費で済む時はクラティオ、四から七で済むのがクラティダ、八以上の消費を要する場合をクラティガと呼んでる。それぞれの呼び方を発声する詠唱は、意識を集中するための呼称でしかないんだ。致命傷では使う魔力が十二ぐらいに達する場合もあるね」「使った魔力は他の属性魔法と同じように、自然に回復するんですか?」「うん。仮に魔力を使い切ったとしても、約一日でほぼ戻るよ。魔力が自然回復する早さも魔道士によって差があるけどね」「魔力を回復するアイテムなんかは、この世界にはないんですよね?」 カイトの質問を聞いたケンゾーが驚きを示すように目を丸くしてみせる。「それは面白い発想だね。残念だけど、そんな便利なアイテムがあるって話は聞いたことがない。あれば便利なんだけどなあ……」「そうなると……戦場で治癒魔法を使う場合は、慎重に使

  • 異世界は親子の顔をしていない   第24話 勉強で始まる異世界生活

     テルスと呼称される異世界にカイトが召喚された聖暦一八八九年九月十一日から、ミズガルズ王国の宰相であるセルシオはその対応に追われた。 セルシオは女王の諮問機関である枢密院の議長を務めるマジェスタと連絡を密にしながら、カイトへのサイオン公爵位の叙爵を略式として断行することで異例の早さで済ませた。 マルチタスクで政治的な処理を片付けてしまう豪腕をもって宰相まで上り詰めたセルシオは、カイトの魔道士への叙任及びミズガルズ王国の筆頭魔道士団であるトワゾンドール魔道士団への入団の手続きも自らが主導して断行した。 トワゾンドール魔道士団への入団に際しては、顧問として迎えている太聖エルヴァの意見を尊重し、ダイキの不在により空位となっていた首席魔道士へのカイトの就任を決定した。 カイトの魔道士としての叙任式典を、朔日である十月一日に執り行うことも併せて決定した。 辣腕をふるうセルシオが激務をこなしてみせるのとは対照的にエルヴァの屋敷に滞在するカイトは、日に数時間程度のエルヴァから受けるレクチャー以外の時間は既に一通り読み終えている禁書を読み返すなどして、勉強に専念するという大学生だったカイトには違和感のない形で異世界での生活をスタートさせた。 禁書に記された十五種の天使に関する情報をすっかり頭に叩き込んだカイトは、通常のランク付けとは別枠として扱われるミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルの四大セラフと、サタン、バアル・ゼブル、ベリアル、ペイモンの四大ノフェル。そしてランクには属すが上位の存在として扱われるセラフとケルブの次に位置するスローンまでの五種を、九月十五日までに召喚させてみせた。 十五日の昼過ぎに訪れたサイオン領の飛び地でありカイトが召喚された日にも召喚魔法のレクチャーに用いた草地で、カイトがスローンの召喚を成功させるのを目にしたエルヴァは歓声を上げた。「いやいやいや……! 僕の弟子は本当にやってくれるね! ほんの数日でジズやバハムートなんかの四大幻獣に匹敵するスローンを召喚しちゃったよ」 カイトの意欲にほだされて普段は必ず休むと決めている日曜日にも関わらず、レクチャーに付き合ったエルヴァは心の底から愉快だと表すように両手を叩き合わせて感嘆した。 優に五メートルを超える体長を誇るスローンの白銀に輝く威容を目の当たりにしたカイトも、自分が異世界で確実

  • 異世界は親子の顔をしていない   第23話 長かった一日

    「はい。わたくしでよろしければ」 夜伽を務める意思を示す小柄なストーリアに上目遣いで見つめられたカイトは、対応を間違えちゃいけない場面だと判断できたことで落ち着きを取り戻した。 間近で見るストーリアのきめの細かい白い肌にうっすらと浮かぶそばかすの愛らしさに気付いたカイトは、男の庇護欲をかき立てるタイプの女性だと思った。 「魅力的な申し出だけど、今は必要ないかな」「わたくしでは閣下のお眼鏡にかないませんでしたか……」 ストーリアが目を伏せるのを見て、言葉が足りなかったと思ったカイトはすぐさま補足するように答えた。「いやっ、そういう意味じゃない。きみはとってもかわいいし、本当に魅力的な女性だと思う。ただ、今の俺には夜伽とか考えられないし、受け止める余裕もないってだけなんだ」 カイトの言葉から配慮を感じ取ったストーリアは微笑みを浮かべることで応じた。「お心遣いに感謝いたします」 同い年のストーリアがみせる落ち着いた対応に接して浮かんだ疑問を、カイトは率直に訊いてみようと思った。「あの、一つ訊いてもいいかな?」「はい。なんなりと」 ストーリアがすぐさまコクリとうなずくのを見て、カイトは少し踏み込んだ質問を切り出すことにした。「きみは良家の出身じゃない? 立ち振る舞いがしなやかというか、気品があるというか、短期間の訓練で身に着けたものじゃない感じがするんだけど……」 カイトの質問に対して、ストーリアは一呼吸置いてから答えた。「……わたくしは、御三家と呼ばれミズガルズ王国で最大の勢力を誇るとも云われるファリーナ家の、分家の一つにあたるカストリオタ家の出自でございます」 ストーリアの返答が想定内だったことで、カイトはもう一段踏み込んだ質問を口にした。「有力な貴族に繋がる良家の血筋で、若くて美しいきみがメイドとして俺の担当になってすぐに夜伽を申し出たのは……そういった背後の意向を背負ってるせいってことなのかな」「閣下は聡明であられます……左様です。今のわたくしはファリーナ家の命を受けて、ここにおります」「そうか……分かったよ、答えてくれてありがとう。俺から王配の祖父に相談するなりすれば、その命令を解除できるかもしれないけど……」 カイトが考えを巡らせながら答えると、それまで一貫して落ち着いていたストーリアが微かに慌てた様子をみせた。「閣

  • 異世界は親子の顔をしていない   第22話 仄暗い夜

     エルヴァの屋敷はカイトの想像をはるかに超えて広かった。 カイトにあてがわれた部屋も二十畳ほどの寝室としては広いもので、白を基調とした明るい部屋には先ほど紳士服店で買った部屋着や下着などの荷物がすでに運び込まれていた。 夕食までの自由な時間を得たカイトは、窓際に小振りなティーテーブルを挟むように置かれた椅子に腰掛けると「他にすることもないし」と気楽な動機で禁書を開いた。 カイトにとって禁書に目を通す行為は、召喚魔法の知識を得るためというよりも娯楽小説をめくる感覚に近かった。 窓から射し込む光が柔らかい暖色に変化したことで、日が落ちるんだと気付いたカイトは部屋に備え付けられたランプを灯した。 蛍光灯やLEDといった電気照明以外に触れることがほとんど無かったカイトにとっては、新鮮でありながらも仄暗い夜が始まった。 携帯式のランタンで足下を照らしながらカイトの部屋を訪れたメイドが夕食を報せるまで、カイトは目が慣れてしまえば文字を追うことにストレスのないランプの灯りを頼りに禁書を読み進めた。 メイドの案内に従いカイトが食堂に入ると、十人が席についても余裕がありそうなテーブルの両端には四台の大きな燭台が置かれ、合わせると二十本のろうそくが灯っていた。 随分とムードのある食卓だとカイトは思いながら席に着いた。 カイトに少し遅れて食堂に入ったエルヴァは、目抜き通りでのショッピングを終えて屋敷へ戻った際に出迎えた三人のメイドとは別のメイドを連れていた。 エルヴァは席に着くと、カイトにとっては初対面となるメイドの紹介を始めた。「まずカイト君に紹介しておこう。きみに付いて身の回りの世話を担当するメイドのストーリア。今日からこの屋敷へ入ることになった新人君だ。きみと同い年の二十歳らしいから気兼ねもいらないんじゃないかな」 エルヴァに紹介されたストーリアは、カイトに向かって深々と頭を下げてから自分の名前を口にした。「ストーリア・カストリオタと申します。これより身の回りのことは何なりとお申し付けください」 小柄なストーリアは白い肌を引き立てる赤褐色の髪をショートボブにしていた。 ベルエポックとも呼ばれる華やかな時代背景を反映するように、この異世界に来てからカイトが目にした女性はヘアメイクが際立つ長い髪の女性がほとんどだった。 顎のラインに沿うようなショートボ

  • 異世界は親子の顔をしていない   第21話 新しい居場所

    「ありがとうございます……エルヴァ卿の弟子として恥ずかしくない魔道士になれるよう、頑張ります」 カイトは決意を口にしながら「定型文っぽい返事になってしまった」と思ったが、エルヴァはにんまりと笑みを浮かべてカイトの言葉を受け取った。「うん。素直でよろしい。僕の提案には素直に応じると決めるまでの判断の早さも合格だ。で、もう一つ提案なんだけどね。きみの今晩からの寝所なんだけど、当面は僕の屋敷にしない? 魔法もそうだけど魔道士って立場が特殊だから、把握しておかないと問題になっちゃう慣習とか作法が色々とあってね。特に戦場に立ったとき国家の意向を背負う全権代理人として扱われる筆頭魔道士団に所属する魔道士は、ウァティカヌス法って魔道士に関する国際法も把握しとかなきゃいけない。とまあ、きみに教えとくことってけっこう多いからさ。近くにいれば何かと無駄がなくていいかなって思うんだけど、どうかな?」 エルヴァは自分の屋敷にカイトを招く提案に至った理由をすらすらと説明した。 拒否する理由がないと即断したカイトはすぐに首肯して応じた。「はい。お言葉に甘えて、お世話になります」「よし、決まりだね。これからきみの叙任式典までは忙しくなるよ。まあ、重要な立場に立つことがもう決まってるきみに早い段階で取り入りたいとか考える貴族やら政治家なんかは、僕と一緒にいれば近付けないから安心して屋敷でくつろぐといい」「はい。ありがとうございます。そうさせてもらいます」 素直にうなずくカイトの反応を見て、満足の表情を浮かべたエルヴァは、「じゃあ、帰ろう」 と馬車の発進を秘書に合図した。 カイトとエルヴァを乗せた馬車は、十五分ほどで王宮と目抜き通りのほぼ中間に位置するエルヴァの屋敷の車寄せに入った。 バトラーとハウスキーパー、そして三人のメイドが、主人であるエルヴァと客人のカイトを出迎えた。 使用人を管理するバトラーは落ち着いた笑顔を浮かべる壮年だった。ハウスキーパーはやわらかな笑顔を浮かべる中年の女性。メイドは三人とも若い女性だった。「僕は使用人が多いのは苦手でね。あとはコックが二人いて、それで全員かな」「あ、はい……」 カイトが微かに戸惑った反応をみせたので、エルヴァは軽く問い掛けた。「どうかした?」「いえ……俺がいた世界、というか国、っていうか時代だと使用人の方と接する機

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